2008年02月20日
大乃国 康
誰か分かります??
大乃国 康(おおのくに やすし、本名:青木 康(あおき やすし)、1962年10月9日 - )は大相撲の力士で、第62代横綱。北海道河西郡芽室町出身。身長189cm、体重は最大で211kg。現在は年寄・芝田山。現役時代晩年は力士としても余りに肥大化したためその体型からパンダという渾名が付けられ力士運動会でパンダの扮装をしたことがある。
中学時代は柔道部に所属。地元に巡業が来た際に土俵に上がったのをきっかけに、当時現役だった魁傑に誘われ花籠部屋に入門し、1978年3月場所で初土俵を踏んだ。1981年に、引退した魁傑改め放駒が興した放駒部屋に移籍。早くから部屋のホープとして期待され、1982年3月場所で十両昇進、翌年3月場所で新入幕と順調に出世した。
最も重いときには200kgを超えた雄大な体格で、相手を寄りで圧倒する取り口。189cmという上背を生かした上手投げも武器だった。しかし得意の右四つに組止められないと下位相手に取り零す脆い面もあった。
前頭3枚目で迎えた1983年11月場所では北の湖、千代の富士、隆の里の3横綱を破る活躍を見せ、翌年3月場所では3横綱3大関を破った。東関脇で迎えた1985年7月場所で12勝を挙げ大関に昇進。その後しばらく低迷していたが、1987年5月場所に全勝優勝すると、7月場所12勝、9月場所13勝と順調に星を重ねて横綱昇進を果たした。
新横綱となった1987年11月場所は、極度の緊張からか動きが悪く序盤で3連敗を喫する等により、ギリギリ勝ち越しの8勝止まりに終わる。次の翌1988年年1月場所では肝機能障害で途中休場し、引退危機と騒がれた。早くも進退を懸ける事となった横綱3場所目の3月場所は、序盤で2連敗したがその後連勝を続け13勝2敗、千秋楽では本割と決定戦で横綱北勝海を倒して、5場所振り2度目の幕内最高優勝、横綱として初優勝を果たした。しかしその後は千代の富士・北勝海の九重部屋勢の活躍に押され、優勝は果たせなかった。
力士としての最大の見せ場は、1988年11月場所千秋楽、昭和最後となった一番で53連勝中の千代の富士を怒涛の寄り倒しで土をつけ、歴史的な場面を演出したことだろう。前日の夜、師匠放駒が「どうせ今のお前じゃ何をやっても勝てないんだから、ヒヤッとさせる場面くらいは作って来いよ」と言われ、逆に闘志に火がついたという。千秋楽の朝、普段より2時間早く稽古場に姿を現し、徹底的に千代の富士対策を行なったという。取組後の報道陣のインタビューに対して「俺だって横綱だ」と珍しく声を荒げた。後日千代の富士はこの話を聞いて「全然知らなかった。俺はその頃明日は楽勝だと2、3軒飲み歩いていた。あの時俺の特番の撮影のためにマスコミもいたんだ。どうして教えてくれなかったのか。恨むねぇ。」と苦笑いしながら語っている。
平成に入ってからは、睡眠時無呼吸症候群やそれに伴って体重が増加したことによる脚の故障に苦しんだ。体重の増加は大関小錦に対抗して自ら増やしたらしいが、逆効果だった。そのために今度は体重を200kg台から約20kg落としたのだが、その方法が稽古ではなく減食によるものだったために、力まで落ちてしまった。この影響で、自身終盤まで優勝争いを演じた1989年5月場所で一旦活躍は途切れ、その後2年近く低迷する事となる。翌7月場所で右膝を痛め途中休場、9月場所は14日目の千代の富士戦で敗れ7勝7敗、そして千秋楽の北勝海戦で敗れ7勝8敗と負け越してしまった。横綱が皆勤して負け越すのは史上5人目(6例目)、しかも15日制が定着してからは初めての不名誉な記録だった(その丁度10年後の1999年9月場所で若乃花勝も負け越した)。一旦は引退届を提出するも当時の二子山理事長(元横綱初代若乃花)に慰留されて現役を続行する。
一場所休場したあとの1990年1月場所で復帰し、どうにか勝ち越すことは出来た。しかし8勝3敗から終盤4連敗し、しかも千秋楽の千代の富士戦では左足首の靱帯を断裂、更に骨折するという悲惨な結末となり、その故障が長引き4場所連続全休する羽目になる。同年11月場所で復帰、序盤で平幕にあっさり負けるなど2敗を喫し、相撲振りは決して良くなかったが、千秋楽に前日優勝を決めた千代の富士に土をつけ、何とか10勝した。翌1991年1月場所も10勝。そして3月場所では12勝を挙げて、1989年5月以来11場所振りに久々に千秋楽まで優勝を争い、漸く復活の兆しを見せたかに思えたが、またしてもあと一歩で北勝海に優勝を攫われた。今度こそ優勝をと雪辱を期すはずだった翌5月場所は、不運にも蜂窩織炎による高熱と右膝関節を痛めて、またも全休となった。
翌7月場所は、再び進退を懸けて土俵に上がる事となる。この場所、最初で最後の対決となった新鋭の貴花田と若花田には勝利したが、初日にいきなり曙の猛突っ張りに吹っ飛ばされたり、最後の相撲となった安芸ノ島戦では一方的に押し出されたりと、8日目で4勝4敗という散々な成績だった(因みにこの場所は他の横綱陣も大変な不調で、千秋楽は北勝海と旭富士で8勝6敗同士の横綱戦と言う事態だった)。安芸ノ島戦での負けた内容が「明日に繋がらない相撲」と悟った大乃国は、この7月場所限りで引退を表明した。横綱の28歳9か月での引退は、廃業や死亡を除けば栃ノ海の28歳8か月に次ぐ若さだった。
この際、年寄・芝田山を取得していたが、当時の芝田山親方(小結・宮錦)が停年まで10ヶ月ほどだったため、5年期限付きの年寄・大乃国を襲名し芝田山の停年を待った。しかし、元宮錦の退職後、元・若獅子に年寄名跡を一時的に貸すことになり、1993年の3月場所後にようやく芝田山を襲名した。
引退相撲は1992年5月場所後に行われた。また、引退相撲での横綱土俵入りの露払いと太刀持ちは、通常は現役横綱の二人が務めるが、当時5月場所前に一人横綱だった北勝海が引退となり横綱不在となっていた。そのため、当時の二子山部屋の現役幕内力士の隆三杉(露払い)と三杉里(太刀持ち)を指名、最後の土俵入りが披露された。
板井を非常に苦手としていた。板井は金星を3個獲得しているが、それは全て大乃国からとったものだった。
入幕して以降は全てガチンコ相撲を通したと言われており、昨今話題となっている八百長騒動とは全く無縁の人である。
横綱昇進後は1度しか優勝できず、その優勝も優勝決定戦の末での優勝だった。当時は優勝決定戦の勝敗は翌場所の番付に反映されなかったため、1度も東正横綱を経験することなく引退してしまった。
引退後は1999年6月に芝田山部屋を開いた。
(以上、ウィキペディアより引用)
曙の前の前の横綱ですね!
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